偉人シリーズ O先生

偉人シリーズ O先生

 

中学の時に、小学校で高跳びをやっていた関係で陸上部に入りました。 入部して3日で辞めようかと思うくらい練習がきつくて、体中筋肉痛になったのを覚えています。 小学校とはレベルが違うわと。

 

そこで出会ったのが、O先生でした。 この先生は人の能力を見抜き、人を引き付けて、出会った人を味方にしていってしまう方でした。 

 

和多志はそんななか棒高跳びに向いているからやれといわれて棒高跳びを始めることになりました。

 

棒高跳び?? イメージがまったくわきませんでしたが、自分的に棒高跳びは向いているなとやり始めるとわかりました。

 

この競技をするためには器械体操的な動きが必要でした。ですから体操部にいって鉄棒とか教えてもらいにいきました。

そういったこともO先生はめちゃめちゃ調べて、何が必要なのか、どうしたら記録が伸びるのかすごく研究されていたように思います。

 

和多志はのめり込むととことんやってしまう人間なので、高く飛びたいという思いから、当時朝の練習と放課後の練習があったんですが、朝の練習が7時半からだったかな。6時とか早く来て練習していたら、O先生がその話を聞きつけて先生も早く来るんです。 ある時寝違えて寝坊していかなかったらどうしてこないんだとと怒られました。 首を寝違えて痛くてというと、バキバキと首をねじってくれて、治してくれたりもしました。 

 

父兄にも、生徒にも好かれていましたが、たぶん同僚の先生方には相当煙たがれていたのではないかと思います。そんなことは跳ね飛ばしていたと思いますが。 

 

なにせ結果を出す先生でしたので。 O先生が指導していた陸上部は県大会で3年連続アベック優勝目前までいったのですから。 本当に指導力に優れていたと思います。 

 

目前と書いたのは3年連続をぶち壊したのが和多志だったからです。(悲) 県大会でミスをしてしまい、男子団体は2位になってしまいました。 しかし公式記録は全国大会へいける基準をクリヤーしていたので、全国大会にいくことができました。 

 

2年生の時に、先輩が全国大会にいくからというので、車で勉強のために連れてい行ってもらいました。 やっぱり全国大会というと雰囲気が違います。愛知県の片田舎から都会の国立競技場まで中坊がいったのですから。もうどきどきです。

 

3年生になって、ジュニアオリンピックに参加するために国立競技場にいきましたが、アドレナリン出まくりで、あまりの緊張のおかげでバーに当たってしまい、記録なしという無残な結果でした。当時ちゃんと飛べれば、3位に入っていたのですがね。 もうあれから悔しくて悔しくて何回もそのシーンの夢をみました。

 

でもこれは和多志ががんぱったからでもありますが、私の能力を見抜いて、棒高跳びをさせたO先生のおかげだと今はとても思います。 

 

人はいろいろな人に出会いますが、このように素直に感謝できる人ばかりではなく、和多志が独立するときに和多志を怒らせて背中を押してもらったM社長さんには大変感謝しております。 会社を辞めるというのはとても勇気のいることですから。和多志の行動の一番の動機は「怒り」ですから、その「怒り」のスイッチをわざわざ押してもらったのですから、本当に心より感謝しております。 ありがとうございます。