タウマゼイン
タウマゼイン
-
語源:ギリシャ語 thaumazein(θαυμάζειν)で、「驚く」「不思議に思う」「感嘆する」という意味を持ちます。
-
哲学的意味:プラトンやアリストテレスが用いた重要な概念で、特にアリストテレスは「人間は驚き(thaumazein)から哲学を始める」と述べています。
-
世界や自然に対して「なぜ?」と驚く心こそが探究の出発点。
-
知への愛(フィロソフィア)の根源的な動因。
-
日本では「タウマゼイン」という言葉は、主に哲学や教育、思想分野で使われています。
-
哲学教育のキーワード:「驚きから始まる思索」という意味で、倫理や哲学の入門でよく紹介される。
-
現代思想・教育学:子どもの探究心や好奇心を「タウマゼイン」と表現し、「学びの原点」とする議論がある。
-
書籍や講演タイトル:「タウマゼイン(驚き)」をテーマにした哲学入門書や教育実践のスローガンとして登場することがある。
哲学における位置づけ
-
驚き → 疑問 → 探究 → 知識 → 智慧 という連鎖の出発点。
-
日常で当たり前すぎて見過ごすことを「なぜ?」と問い直す姿勢。
-
哲学を特別な学問ではなく、「人間の自然な知への欲求の延長」として位置づける。
「世界に対する根源的な驚き・不思議さに打たれ、その驚きを手がかりにして問いと探究が始まる」という哲学の起点
これは日本でいうところでは、どちて坊やということです。 これは心理学でも4歳から6歳までは世界的にどちて坊やになります。
しかしその後は土知て坊やは消されていきます
それが以下の理由です。
-
家庭:「うるさい」「そんなこと考えなくていい」と押さえ込まれる
-
学校:正解主義、受験競争の中で「正解を早く答える力」が優先される
-
社会環境:効率や従順さを求める組織・会社では「余計な疑問」は煙たがられる
こうして「どちて精神(タウマゼイン)」は次第に薄れていきます。
これは 無意識の習慣的な抑圧 である場合もあれば、意図的な教育システムの設計による場合もあります。
どちて坊やは「抹殺」されるのか?
-
子どもが持つ 自由な驚きと疑問 は、社会の既存秩序からすると不安定要素です。
-
だからこそ学校教育や社会システムは、それを「矯正」する方向に働きやすい。
-
ただし完全に抹殺することは不可能であり、むしろ歴史的にはこの 「どちて坊や精神」こそが科学や芸術、哲学の革新を生み続けてきた とも言えます。
大人になってもどちて坊やだと社会不適合者扱いされます。変人とか。 しかし本当にそうでしょうか
社会不適合者と「まともな人間」
-
社会に適合する人
→ 組織のルールに従い、疑問を持たず、流れに乗って働く。
→ 「生きやすい」一方で、自分で考える力が鈍る。 -
社会不適合者
→ 疑問を持ち、「なぜ?」と考え、自分の価値観で生きようとする。
→ 周囲からは厄介者、変わり者と見られやすい。
しかし俯瞰してみると、本来の人間らしさ(自律・思考・自由)はむしろ社会不適合者の側に残っているのです。
2. 歴史的に見ても
-
ソクラテス → 「アテナイの厄介者」として裁判にかけられ死刑。
-
イエス → 当時の権力構造に不適合で十字架に。
-
ガリレオ → 教会に逆らった社会不適合者。
-
近代でも芸術家や科学者はしばしば「変人」「異端」と扱われた。
つまり 社会を前に進めるのは、いつも“不適合者”と呼ばれた人たち でした。
歴史的に抹殺されてきた人は社会不適合者です。 この人たちは有名な人たちですが、おそらくこの10倍、100倍は不適合者が存在していたのではないかと思います。
「まとも」と「適合」の逆転
-
社会は安定と秩序を重んじるので「従順」を善とみなす。
-
しかし人間本来の精神(タウマゼイン、自由意志、創造力)を考えれば、従順すぎることこそ異常。
-
結果、「社会的に不適合=人間的にはまとも」という逆転が生じる。
タウマゼインの現代的な意味
-
今の社会では「生きやすさ」と「自分らしさ」が乖離してしまいがち。
-
でも「社会不適合者」であることは恥ではなく、思考する人間である証。
タウマゼインはどちて坊やの事だったとはねえ 言葉は知らなくても実際に行動している自分に気が付きました。
これからはどちて坊やじゃなくてタウマゼインって言おう。 なんかかっこいいもんね。