宮崎安貞という研究者
宮崎安貞という研究者
宮崎安貞(1623–1697)の『農業全書』は、江戸時代前期に成立した日本最初の本格的な農業百科事典で、後世にも大きな影響を残しました。
どのような状況で書かれたのか
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江戸初期の社会背景
17世紀後半、戦乱が収まって平和が訪れた一方で、農村では人口増加や土地利用の拡大により、農業技術の向上が強く求められていました。特に飢饉や凶作がしばしば起こり、安定した食糧生産は幕藩体制の基盤にかかわる重大課題でした。 -
安貞自身の経験
安貞は肥前国(現在の佐賀県)出身で、武士の家に生まれながら農村経営や農業技術に深い関心を持ち、各地を歩いて農業の実情を調査しました。その観察眼と探究心が『農業全書』の基盤になっています。
どんな思いで書かれたのか
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農民救済の意識
飢饉や天候不順に苦しむ農民を助けたいという切実な思いが大きかったと考えられます。単に技術を整理したのではなく、「農業を体系化して共有する」ことで、誰でも利用できる知識にしようとしました。 -
実学としての農業
儒学的な教養を背景にしつつも、理屈だけでなく実地の経験を重視し、農具の使い方、作物の種類、肥料の工夫、灌漑・治水、病虫害対策まで幅広く記しました。これは農業を「実学」として確立したい意志の表れです。
後世への思い
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永続的な知識の伝達
安貞は「農業を家ごとの秘伝や口伝にとどめず、万人に開かれた学問にしたい」と考えていました。後進の農民や指導者が活用できるように、具体的で実用的な記述を心がけています。 -
国家・社会の安定
農業の発展は「衣食の安定」を意味し、これは国家の安定に直結します。安貞は農業の改善を通じて、村や藩、ひいては日本社会全体の安定を願っていたのでしょう。 -
研究成果の遺産化
自分の生涯の学びと観察を「一書に集大成」することで、後世の人々に「知識の道標」を残す意志があったと考えられます。実際に『農業全書』は明治時代まで農業技術書の基本とされ続け、彼の願いは長期的に実現しました。
和多志はこの人物はまったく知りませんでした。
有名ではなくてもひっそりとすごいことをして国民の糧になっていることがあるんだと。
実にかっこいい生き方だなと思います。