教条主義とは

教条主義とは

 

和多志の理解はマニュアル主義的に理解していますが、本来の意味はちょっと違います。

 

本来の意味とは宗教上の教義をさす教条(ドグマ)に由来するそうです。 一般には規制の権威ある教説や命題などにいついかなる条件のもとでも妥当する敷衍の心理として固執し、具体的な条件のもとでで創造的な発展や新しい経験に基づく批判的な検討などを書いた硬直した思考態度を意味するそうです。経験主義や修正主義と対立していきます。

 

 

和多志は以前、役所とかの対応について、怒りというか、反応していました。ほぼ考えていなく憤怒を覚えていました。

今から思えば、相手にも立場があるのでしょうがないと思いますが、当時はわけもわからず憤怒していました。

 

理由がわからないのに、怒りがわいてくるというのは怖いものです。 

 

ある時ヒプノセラピストに会い、面白そうなので診てもらいました。特に困ったことはなかったのですが、この憤怒を診てもらいました。 

 

すると「あー なるほどねえ」と言われました。 セラピストには見えているようでした。

 

数千年前のこと、和多志は王族のお抱え医師だったようです。 その王族の一人が病氣になり、今なら手術したら治ると話をしたら、何?手術? 手術とは何をするのか? 腹を切って患部を取り出すことですと説明すると、そんな手術は認められないと激怒されて、それでも会議に会議を重ねて、ようやく1か月後に認可されて手術を行いなさいと命令されたのですが、1か月後には病状は進行していてすでに手遅れになっていました。 しかし手術したら治るといっただろと押し切られて、手術をさせられて、患者さんは死亡し、その責任を取らされて、死刑になった前世があるということでした。

 

なるほど! それで役所の対応に対して反応して、憤怒していたんだと理解できてから、もう憤怒することはなくなりました。 こんなことがあるんですね。

 

もう一つ前世について、和多志の友人が咳が出て困ると相談を受けたんです。それは前世の影響かもしれないからヒプノセラピー受けたらとアドバイスしたんです。 彼はそのアドバイスを受けて実際にヒプノセラピーを受けたところ、なんと、彼はローマ帝国の兵隊で、戦争中に後ろから飛んできた矢が喉に刺さって死んだことが、心のこりでその思いが咳になって残っているといわれたそうです。 それが分かったとたん、咳が止まったということで大変喜んでくれました。

 

和多志はそのアドバイスをしたのは、酔っぱらっており全く覚えていませんでしたのではじめ何を言っているのかよくわかりませんでした。

 

前世というのはやっぱりあるんですねえ。