悪人正機説とは
悪人正機説とは
親鸞のいうところの悪人ほど救われるという考え方です。
罪深い悪人を救済することであり、悪人こそ悟りを得やすく往生できるということを説いています。
アンチテーゼになっていて気を引き付けます。
悪人という定義が気になりますが、善悪ということは自然界には存在しないので、人間界の話に限定される話です。
善とは何か、悪とは何かは、自然界には火山が噴火しようが地震がこようが、動物が共食いしようが、食物連鎖で食べたり食べられたりしようが善悪はありません。
例えば人間界では嘘をつくことは悪といわれますが、和多志が考えるのに、嘘をつくこと自体が悪いことではなくて相手のことを思いつく嘘はついてもいいと考えます。
がんで死にゆく母が子供を悲しませないように旅にでるという嘘は悪か?
オレオレ詐欺で息子だと嘘をついてお金をだましとるのは悪か?
こうやってみると、嘘をつく土台、なぜうそをつくのかの根っこみたいなものが、問題ではないかと思うわけです。
誰が何のためにやっているのか? 相手を思いやる気持ち、お金をだまし取りたいという気持ち。
心が温まるのか、それとも心が冷えるのか。 単純に考えたらわかりますよね。
より具体的な例として食品添加物がありますが、すべてではありませんが、いったい誰のための添加物なのかを考えてみます。
着色料、日持ち剤、ph調整剤、着香料などなどたくさんの添加物があります。
この添加物の使用目的は工場で生産しやすい(=低コスト)とか、見た目がおいしそうに見えるとか、賞味期限がながくて、より陳列できるようになるように添加します。
ではこの食品を食べるのは誰なのでしょうか?工場の人? お店の人? そうではありません。 消費者です。
自分が食べないような食品添加物まみれの工場生産品を製造する人、販売する人は悪人です。 言っていることとやっていることがずれて嘘をついているからです。
しかし 自分が喜んで食べるのであれば、言っていることとやっているとこが一致しているので善人ですが、自分たちで製造しておいてこんな添加物まみれの食品は食えないよといいつつ働いている人は悪人です。
商品を提供する側=商品を受け取る側の関係ではないと、今後どんなビジネスをやってもうまくいかないでしょう。
和多志が子供のころ、ファンタというジュースがあり、それはもう舌が着色するくらい色がついていました。 ジュースを飲んだ後友達と染まった舌を見せ合っていました。 さすがにそんな飲料は今はありません。
今から思うと着色料まみれの飲料を製造している会社の人は当時その飲料を飲んでいたのでしょうかね?
飲んでいた人もいるでしょうし、健康に興味がある人は飲まなかったのでしょう。退職しているかもしれませんね。
和多志も原料の輸入販売にとどまらず、商品開発までしていますが、自分も飲みたい商品でなければいけないと思い開発しています。
和多志が開発する商品は基本的に毛細血管の血流を格段に良くします。いままでさまざまなモニターやりましたが、どうも皮膚の毛細血管の流れはよくないのではないかと感じています。
人としては生きていますが、真皮層の毛細血管は詰まってはゴースト血管となり、また血管新生してはつまり、常に工事中ではないかと推察しています。これでは肌は潤わないし、乾燥肌になってくるし、肌あれもおこるでしょう。 この現象が頭皮でおこれば、ハゲになってしまいます。
話はそれましたが、自分の仕事はいったい誰のために、何のためにやっているのかを常に見極めてこれからも仕事していきたいと思います。