映画 銀河鉄道の父

映画 銀河鉄道の父

 

宮沢賢治さんの生涯の映画です。 知っているつもりでいる自分を発見しつつありました。

 

当時の結核はイコール死です。 よほど無理していたんでしょうねえ。

 

この映画でポーンと浮かんできたのは「執着」でした。 執着は現世で苦しみを作り出すなあと思いました。

 

執着がないというのは実に自由です。この映画でいうなら、長男だから、跡取りだから、商人だから勉学はいらないとか

でも結核になったらおしまいです。

 

お父さんが明治の人にかかわらず、こういった執着を持たない方だったなんて、時代的にすごいなと思いました。

 

またおじいさんが最後は認知症になってしまうシーンがありましたが、今も昔も同じような病氣があるし、ここからは私の邪推ですが、多くの認知症の患者さんは薬もないし、設備もないし自宅療法で家族が対処していたのでしょう。

 

食事がとれなくなったら当時は死です。今は胃婁したり、栄養が経口でなくても取れるようなっているので生き長らえます

しかし患者さん本人はそんなに生きたいのかと思うとはなはだ疑問です。

 

ですから、殺してくれということもあったと思います。今なら犯罪となってしまいますが、患者さんからしたら、いいことなんでしょう。 紙おむつもないから、粗相をしたら大変だったと思います。 洋式トイレでもないし。

 

また宮沢賢治さんの家は金持ちだからよかったですが、貧乏人で結核になったら、ひどいものだったのでしょう。

ひょっとしたら、自ら山にいって姥捨て山みたいに自分で自分を捨てていたのかもしれません。うつるかもしれないので。

 

和多志がもし寝たきりになり、トイレも自分でできず、紙おむつになるんだったら、尊厳死を選びます。

 

そこまでして生きたいか? でも今なら尊厳死というけど、自分がその時になったら違うかもしれません。

 

患者さんで102歳の寝たきりのおばあちゃんがいます。自宅で胃婁して寝たきりです。 薬を取りに来る度におばあちゃんは死にたいだろうなと妄想してます。 現代は死ぬ権利は認められていませんからね。

 

宮沢賢治さんの生涯をみていて時代背景から、仕事柄病氣に目が行ってしまうのと、農業も大切だけど、そんなに食べるものがないのであれば、野草食べてもいいけど、そういった情報が当時は飢饉ではない限り伝番しなかったのかと感じました。

 

雨にも負けずの詩では、まさに現代の政界、経済界、医療界などさまざまな業界で声たかだかに叫びたいなと感じました。

 

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けず

丈夫な体を持ち

欲はなく決して怒らず

いつも静かに笑っている

1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れず

よく見聞きし 分かり そして忘れず

野原の林の下の蔭の

小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西に疲れた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず 苦にもされず

そういうものに私はなりたい

 

和多志はこの詩では「皆にデクノボーと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず」ここが響きました。

これは今はまっている小林正観さんの「夢も希望もなく淡々と生きる」に通じるなあとしみじみ思いました。

 

素敵な映画ありがとうございました。