選択と脅迫の違い
選択と脅迫の違い
人生生きていると何に拘束されいるのかですが、それは時間とお金につきるでしょう。 お金は自分の労働の対価と自分がほしいものを交換できる万能ツールです。
多くの人は自分の限られた時間を売って、お金に換えて、自分の好きなものを買っているのです。
選択ができる人と選択ができない脅迫になっている人がいます。
選択とはどういうことでしょうか それは、飛行機でビジネスクラスに乗れるけど、エコノミーに乗る人です。
もったいない(これは英語でもそのまま通じます。地球上すべて日本語になると楽なんだけどな)といって乗らないです。 移動する時間が10時間から、5時間なら、ビジネスクラスに乗るでしょうが、同じ飛行機ですから、10時間かかります。
車も同様です。何千万する車に乗れるけど、200万円の車で満足できる人。タイヤが4つあってエンジンがあって同じ車で、移動手段として、そんなにちがわないので、買いません。違う目的があれば別ですが。節税とか。
それか空飛べたら何千万でも安いですが。
逆に脅迫になっている人は、それしか選べない人です。このような人たちが、お金を自由に使えるようになったらどうなるかです。何百万もするビジネスクラスにのり、3000万円のポルシェを買い、10億円のマンションを買うのです。 そしてもっともっとととモット教にはまります。足るを知らないのです。
以前勤めていた会社の上司は、営業上では営業の予算を使えるようになるのは、お客さんと自腹でご飯行けるようになってからじゃないと、たかられるだけだから注意せよと指導を受けたことがありました。
確かにそうだよね。今から思うと、たかってくる人もいますから、自腹では絶対に行かない人。
自腹ではいかない人はたかりに来るから、そういう人には会社のお金は使わせないということです。
きちんとその点見極めて、会社でのお金を使い、有意義な時間にして、仕事に結びつけることが必要ですから。
脅迫になってしまう人がお金を自由に使えるになるときが怖いです。 以前もありましたが、国会議員特権で、グリーン車ただ乗りできるんですよね。もう国会議員ではないのに、国会議員であると偽って何年もただ乗りしていた元議員が。まさにああいう人がそうなんでしょう。虚栄を張り、見栄をはり、偉そうに生きてきた人ほど最後は悲惨です。
和多志も脅迫にならず常に選択できるような人になりたいです。