本 アインシュタインの旅行日記
本 アインシュタインの旅行日記
1922年にアインシュタインが日本に来ていて日記を記しているということを知って、いったい大正時代の日本というのは、ユダヤ人のアインシュタインにはどう映ったのか知りたくて読んでみました。
アインシュタインは実に親日家であり、10回以上日本に来ているということです。 いったい日本の何に惹かれたのだろうって。
欧米は徹底的な個人主義で情け容赦ない競争社会。できるだけ多くの贅沢と楽しみを手に入れるための熱狂的です。家族の絆は緩んでいます。
しかし日本では個人は欧米ほど自立していません。物理的な関係における家族の団結、互助は個人が銃と食に関して件局になることで容易に培われます。
自分の感情や情緒を表に出さずいかなる状況でも落ち着いて平然といられる伝統があると見ていました。だからこそ心情的に合わない大勢な人が一つ屋根の下で暮らすことができ気まずい摩擦や対立が生じることないと。
これはヨーロッパ人にとって謎である日本人の微笑みの深い意味だとおもえますと。
日本人はどうしてこのような伝統が発達してきたのか それは日本人に特有の繊細さとヨーロッパ人よりも強い共感があったからだと。
無礼な言葉は無礼な言葉で傷ついたらすぐに反撃にでて目には目をとばかりにたっぷりに復讐します。
しかし日本人は傷ついて退却し、家に帰り泣きます。 日本人が無礼な言葉を口にちないのはそうしたことを言う本人が間違って不誠実だからだと周囲から何度も思われることになるからでしょうと。
日本人の心の底を覗いてみるのは容易な事ではありません。 どこにいっても日本人からこの上なく思いやりを示してくれているので、慎重に選ばれた言葉を耳にすることのほうが心の底から思わず出てくる意味深長な言葉を聞くことよりも多いのです。
しかし人間同士の直接の接触では得られないことを芸術の印象が補ってくれます。
日本では芸術からほかのどの国でも不可能なほどとても豊かなそして多様な印象を得ることができます。
私が芸術といっているのは人間の手が美的な意図を抱いて、あるいはそれに準ずる意図を抱いて創り続けていく永続的な事すべてです。
この点においては私は感嘆を禁じえません。
自然と人間がここ以外どこにもないほど一体化しているように思えるのです。
この国から生まれるものすべて愛くるしく陽気で、決して抽象的、形而上学的ではなく、常に自然を通じて生まれてくる現実と結びついています。緑の小島や丘の風景も愛くるしく、授記も愛くるしく、小さな区画に綿密に分割され、綿密に耕されてる畑も愛くるしければ、特にその横に立っている小さな家々も愛くるしい。
そして最後になりますが、日本人自身、その言葉、その動き、その服装、そして日本人が使っている用具、家具類すべてが愛くるしいのです。
とりわけ気に入っているのは日本の家で、そこにはいろいろな用途のなめらかな壁や、マットが柔らかくしかれた色々な小部屋があるのです。あらゆる細かなものにも意味があるのです。
しかも愛くるしい人たちが絵のように美しい微笑みを浮かべお辞儀をし座っているのです。
そのすべてに感嘆するしかなく真似はできません。 真似しようとしても失敗するだけです。
日本人は人付き合いが陽気で気楽です。
日本人は将来に生きるのではなく、今を生きているのです。 その陽気さは繊細で決して騒がしくはありません。
日本人のジョークは私たちにはすぐにわかります。彼らにも滑稽さやユーモアに対するセンスはあります。 私はこうした心理的に深いところで日本人とヨーロッパ人の間にはさほど差がないことを確認して驚いています。ただしここでも日本人の優しさに気づきます。
日本人のジョークには皮肉がないのです。
私が一番関心があるのは日本の音楽です。 とりわけ繊細なリズムにあります。
日本の芸術で最も素晴らしいのは絵画と木彫です。 このジャンルは日本人がフォルムを楽しむ目を持った人間であり、いったん出来上がったものを飽きることなく芸術的に造形し、様式化された線に変化させていく様子がはっきり見て取れます
日本人は正当にもセイヨウの知的業績に感嘆し、成功と大いなる理想を目指して化学に没頭しています。
しかし西洋より優れいている点、つまりは芸術的な生活、個人的な要望の簡素さと謙虚さそして、日本人の心の純粋さと落ち着き、以上の大いなる宝を純粋に保持し続けることを忘れないでほしいのです。
もうアインシュタインべた褒め日本です。