和多志にとっての新単語 「妄執」
和多志にとっての新単語「妄執」
妄執なんて初めて聞いたな これは仏教用語です。 日常ではまず使わないでしょう。
悟りきれず、心の迷いによってあくまで離れないでいる執念。妄念という言い方もあるようです。
妄執に取りつかれるという使い方します。
確かに妄執に取りつかれている人は多いだろうなと思います。
お金、仕事、家族、人間関係、将来への不安などたくさんの悩みがあります。
お金に関して言えば、足りないということを常に考えています。でもお金はたくさんあればあったでまたどうやって守ろうとか増やそうとか、節税しようとか考えることになります。
何兆円も持っている資産家は常に家族が誘拐される危険があります。ちょっとディズニーランド行ってくるなんてできません。 ディズニーランド貸切って遊ぶようなことをしないといけません。
和多志の知り合いは何兆円も持っていませんが、退職金6000万円もらって、悠々自適なのですが、お金がどんどん減っていくことへの不安があるそうです。
サラリーマン時代は会社のお金だったのでどんどん接待してくれましたが、今は身銭なので、定食もごちそうしてくれなくなりました。
こういうところで人間性がでるなあと思いました。別に悪いことではないですが。
そういった意味では和多志が勤めていた会社の経営者は考えが一貫していたように思います。
その中で一番響いたのは、接待はしない。意味のない食事やまんじゅうを持っていくなら、お客さんの役に立つ情報、たとえば新聞の切り抜きでも持っていきなさいというお方でした。
当時は若造だったので、営業で接待しないなんてどんな会社なんだろうと思っていましたが、自分が会社を興して、経営者の立場になってみると身に染みるほどよく理解できます。
また税制でも、法人の経費として引ける接待費は400万円が上限となっているのでここでも区切りがあるのかなと思います。
また上司は接待するなとはいいませんでした。接待は仲良くなって、割り勘で飲むようになったら、ごちそうしてもいいという判断基準を持っていました。
こういった基準がなくなると今では伝説となった銀行屋の大蔵省への接待「ノーパンしゃぶしゃぶ」まで行き着くことになるのでしょう。
まだ銀行屋と一緒に楽しむのであればわかりますが、銀行屋は参加せず、お金だけ払わされていたというのはどうにも腑に落ちません。完全に大蔵省のATMにされていたということでしょうね。
和多志はそういった会社で育ったので、基本的には接待はしません。
基本的には文献の提供、もっていっても自社製品の提供、盆暮れのお菓子くらいです。
仲良くなって割り勘になったお客さんも何人もいますが、弊社はまだまだじり貧なので接待したくても接待できないのでごめんなさい。 あと3年ほどお待ちいただけば、なんとかします。(笑)
妄執。怖いですね。 和多志もとらわれないように注意します。