檻で暮らす人として
檻で暮らす人として
奴隷解放運動から奴隷が奴隷ではなくなって、どうなったのかというと、鍵がないのに檻に入り同じ仕事をしていたそうです。
現在の奴隷は檻はありません。
その代わり、お金があります。現在の人々はお金によって。奴隷と同じような扱いを受けてしまっています。私もその中の一人です。サラリーマン時代は会社に毎日同じ時間に通い、同じ時間に休憩に入り、同じ時間に仕事を終え家に帰ります。
その中で生活していると何の疑問も思わないです。
やりたくてやっている人は問題はありませんが、おそらく90%はこのような生活は望まないでしょう。
おそらく人は起きたいときには起き、寝たいときに寝て、行きたいところに行き、会いたい人に会って、食べたいものを食べてやりたいことをやる。それが自由であり普通だと思いますが。そんな自由人はほぼ皆無でしょう。私は運がいいことに会社を辞めて自分で自分で会社を興して自由人になっています。しかし時折今になっても、所属意識、承認欲求が満たされてないと、自由なのに檻にいるなあと感じます。 檻で暮らしていた過去を思い出して、所属意識や承認欲求を満たしていた。
さらにお金を稼ぐということがありお金、所属欲求、承認欲求を満たしていた。
この3つが満たされていれば、とりあえず安定は確保できます。 家族も養えます。
しかし自由度とはどうでしょうか? 好きな時に休む。好きなところに行く。
そういった自由を犠牲にして。生きていた過去を思い出します。
そんな檻生活でも私が勤めていた会社はまだまだましでした。 有給休暇は年間20日は全日消化できたし、結構自由にできました。
30年も会社員生活をしているとサラリーマン根性がしみ込んでしまいますから。
まあこの癖がなくなるのも10年はかかるでしょう。
これからは各個人が個人事業主や会社をつくって小規模でいいので、組織に属さず仕事をする時代がもうそこまで来ていると感じます。
所属欲求は会社ではなく、個人同士のネットワークに属し、承認欲求は自分が開発したものやサービスで社会に貢献する形で満たされていくでしょう。 会社組織ではでかい組織ほど、いったい何をやっているのかわからないし、直近の上司に認められるように努力することになります。嫌われないように、好かれるように。ゴマすりの術ですね。
処世術がたけているものが出世してポストを手に入れお金も手にしていきます。 これが世の中で通用しなくなると、処世術だけで生きてきた人はパニックになるでしょうが、処世術という技術があれば、どこでも生きていけると思います。
個人のサービスは個性に直結しておりその個性を求めてさまようことになると思います。 個性に対してお金を払うというのは、これは芸術に近く、安ければ売れる、高いと売れないという世界ではありません。
今までは製造メーカー、物流、小売店というシステムに支配されていたので、こういう商品なら、この価格レンジというように売る側の常識に縛られていましたが、今後は違います。
きちんとした商品はそれなりにお金がかかるので、この常識は通用しなくなっています。
今後は「個」が注目されてくる世の中になり、会社組織はでかい組織程機能不全に陥り、病人ばかり増やすことになるでしょう。もう増えているか。
檻から出るのは怖いし不安もありますが、自由は半端ないです。 時折檻に戻りたくもなりますが。