お盆です 2024年
お盆です 2024年
毎年お盆が来る度にまた1年たったなあと思います。 お盆は仏教徒なんら関係もないのに、檀家、お寺のキーワードでたくさんお金がかかります。
現在檀家制度もくずれつつあるようですが。
和多志は親鸞和尚の話を知った時に850年前にすごいお坊さんがいたんだなあと感心して、言っていることは誠に正しいと感じました。
なにせ両親の葬式をしないというのですからね。
檀家に代々入り仏壇とお墓を購入して先祖を供養する習慣というのはサステナビリティではなのかなあと感じています。
天皇が126代、愛知神話の567代とか代々と数えていることがありますが、庶民なら3代から5代までさかのぼれば御の字でしょう。
村田家では和多志のひいおじいさん、おじいさん、親父、自分、子供と5代目です。 この5代目で村田家は終了となります。
和多志の代で終わりですから、仏壇、墓を閉じることを考えています。 和多志のように考えている方は多いのではないでしょうか。
村田家は長男が後を継ぎません。 和多志の父まではつねに3男が後を継いでいました。
この家を継ぐという行為は本当に日本式なのかどうかです。 人がせいぜい出会える親族というのは、前後含めて3代から5代でしょう。
言葉もひいひいおじいさん、やしゃごくらいです。自分から見て孫が2代目、ひまごが3代目、やしゃごが4代目です。4代先まで会えることができたらそれはすごいことだと思います。
20歳で出産し、その子供が20歳で出産し、40歳で孫、さらに孫が20歳で出産すると、60歳でひ孫、この流れでいくと80歳で玄孫に会えます。その先はまず会えないでしょう。
孫に会えるだけでもうれしいものです。何をしたとかではなく、存在そのものが喜びですよね。
存在そのものが喜びというのは孫によって教えられるものなのでしょう。 地位が高い、お金をたくさんもっているとかではなくて。
ミャンマーに行った時はお墓はなくて、3代前まえまでは覚えているがそれ以降は知らないということだった。
一年に1度家族で集まってお祭りみたいなことをするといっていたけど、日本だとそれがお盆だということでしょう。
和多志のお盆の見方は、毎日お参りしている人にとってはあまり意味がないですが、実家に住んでいなければ、実家に帰ってきて親や、兄弟親戚と交流して故人を思い出すというのはとても大切だと思います。
しかしこの行為はMUSTではなく自由意志によるものでしょう。
自分にとってお参りとは、故人をいかに思い出して自分の時間を使うことではないかと考えています。
毎日1分でもお経でも語り掛けでもよろしいかと思います。 でも一か月で30分、一年で360分、10年で3600分となります。
この3600分というのは2.5日分となります。
故人を思い出すというのはどこでもいつでもできることです。故人からすると3代前はほぼお忘れられているけど、1代、2代くらいなら、両親、祖父母レベルですから、会ったことありますよね。 思い出してもらうと嬉しいそうですよ。
是非お盆を機に、ご先祖様、ご家族と交流してくださいませ。