英語に訳せない日本語「もったいない」
英語に訳せない日本語「もったいない」
これは英語ではmottainaiです。 日本語そのままです。
世界にはどうしてこの概念がないのか調べてみました。
どうもこのもったいないというのはブッタからきているようです。
「もったいない」という言葉の語源は、日本語の「勿体(もったい)」という言葉に由来しています。「勿体」はもともと「物体」や「形」、「存在」などを意味し、「そのものに本来あるべき価値や威厳がある」という考え方を含んでいます。この「勿体」に「ない」を加えることで、「本来の価値が失われる」「その価値を十分に活かせていない」という意味が生まれました。
現在の「もったいない」は、無駄遣いを避け、本来の価値を尊重するという考え方を表す言葉として広く使われています
世界にももったいないという意味の言葉はありました。
「もったいない精神」は、日本独特のものとして知られていますが、世界各地でも似たような価値観や考え方が存在します。
たとえば:
インドの「アヒンサー(非暴力)」: インドの伝統的な哲学であるアヒンサーは、すべての生命を尊重し、無駄な殺生や資源の浪費を避けるという考え方を含んでいます。
アメリカの「ゼロ・ウェイスト(Zero Waste)」: 無駄を極限まで減らすことを目指すこの運動は、資源の大切さを認識し、ゴミを出さないライフスタイルを追求するものです。
スカンジナビアの「ラゴム(Lagom)」: 「ちょうどいい」という意味を持つラゴムの精神は、過度な消費や浪費を避け、バランスの取れた生活を大切にする考え方です。
それはそうでしょう。 人がコミュニティで生きていれば、食べ物を粗末にする、食べ残す、まだ使えるのに捨てるとなるとモッタイナイとなります。 しかし現代の株主資本主義では、売り上げをあげるにはどんどん商品を買ってもらわないといけないので、お客さんに捨ててもらう必要があるわけです。
もったいないが世界共通語になっているのは、この株主資本主義にたいしての一人一人の戒めではないかと思います。
これからの資本主義は、倫理資本主義、あるいは公益資本主義である必要があります。そうしないと地球の資源、人類人的資源を食い尽くすことになり、一部の裕福層、ベンチャーキャピタル株式会社が儲かり、99%の人類は貧乏に追いこまれていきます。
もったいない。 すばらしい日本文化です。 でも世界にもあってよかった。
中国ではご飯を出されたら残すのが礼儀ですが、しかしそれはお客さんへの接待という意味です。
実際生活している中国の方は残さず食べるし、残せば、持って帰りますからね。
それは食材、調理人などレストランにかかわる人のことを考えたら自然にそうなると思います。
和多志はあらゆるものに名前を付けています。たとえば車は「あっくん」です。あっくんおはようとか話しかけています。
そのせいか、事故にあっても全く無事だし、むしろ検査で深刻な病氣がみつかり助かっています。
モノ、特定の働きをする物質には魂が宿ると哲学者が言っていました。 コップにしろ、フォーク、もっと複雑な自動車なんか特に。
確かに和多志自身あっくんに護ってもらっていることを考えると絶対あるなあと思います。
それはあっくんからしたら、だまって利用されるより、あいさつ、お礼、感謝されたらとてもうれしくなりますから。