僕が生きている2つの世界

僕が生きている2つの世界

 

耳が聞こえない両親をもつ健常者の子供心の変遷を内側から抉るストーリーでした。

 

家庭でのコミュニケーションと学校でのコミュニケーションの違いを知りショックをうける。 

 

耳が不自由でない一般人は耳が聞こえることは当たり前のことであり、耳が聞こえないとどんな不都合が起こるのかは、よほど関心をもったり、ボランティア活動をしていないと知りえない。

 

そんなやり取りをしていなくてもまるで体験できるような映画でした。 物理的な事だけではなく、精神的なことまで手に取るように感じることができました。

 

 

子供は自分が生まれる前の記憶はないから、耳が不自由な両親がどんな困難を経て自分が存在しているのかを知るともう感謝しかないという感情が湧きだしてくる。

 

一般人でも結婚、出産、子育ては大変なのに、耳が不自由であるのにいかに周囲が反対して、心配してくれていたのか。

 

そういった困難を乗り越えて健康な赤ちゃんを産んで子育てしていく姿には尊敬に値します。

 

 

健康というのは健康の時には氣が付きませんが、不健康になると健康の有難みが認識できます。

 

 

ある意味病氣というのは有難い存在なのでしょう。    

 

 

当たり前だと思っていることが、当たり前ではないことに氣が付くわけですから

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