なぜ人は他人と比較してしまうのか

なぜ人は他人と比較してしまうのか

 

和多志は特に他人とすぐに比較して舞い上がったりへこんだりしています。どうしてなんだろうってちょっと考えて見ました。

 

比較してしまう理由はいろいろあるようです。

 

〇社会的比較理論

心理学者のレオン・フェスティンガーが提唱した「社会的比較理論」によれば、人は自分を他者と比較することで、自分の能力や価値を評価しようとします。これは、自分がどのような位置にいるのかを知りたいという自然な欲求からくるものです。他者と比較することで、自

分の強みや弱点を把握しようとする傾向があります。

 

自己価値の確認

人は自己評価を維持したい、または高めたいという欲求があります。他者と比較して優れていると感じるとき、自己肯定感が高まり、逆に劣っていると感じるときは、劣等感や不安を感じます。このプロセスが、優越感や劣等感につながります。

 

文化的・社会的影響

多くの社会や文化では、成功や幸福を他者との比較によって測る傾向があります。例えば、成績や収入、職業、外見など、明確に比較できる要素が多く、これが無意識に他者との比較を促進します。SNSなどの影響も、他者の成功や幸せを見て自分と比較する機会を増やしています。

 

進化心理学的な要素

進化的には、生存や繁殖の競争において他者と比較することで、自分がどの位置にいるのかを知り、より良いパートナーや資源を得ようとする動機が働いていたと考えられます。この比較の欲求は、生存戦略として進化してきた可能性があります。

 

〇自分との比較の難しさ

頭では「過去の自分と比較すればいい」と理解していても、他者との比較をしてしまうのは、これらの要素が深く根付いているためです。自己改善のために過去の自分と比較することは理想的ですが、周囲の影響や心理的なメカニズムが働くと、無意識に他者との比較に戻ってしまうことが多いです。

 

あとは本能なのか洗脳なのかですが、おそらく洗脳なんだろうなと思います。

 

人が他人と比較するのは、ある程度習性ともいえますが、文化的な影響社会的な洗脳も関与しています。

 

習性としての比較

人間は進化の過程で、生存や安全を確保するために周囲の環境や他人と自分を比較してきました。これは自然な生存戦略の一部です。たとえば、他人の成功や失敗を観察して、自分にとって有利な行動を選択することは、進化上有利に働いてきました。比較によって、自分の位置を確認し、向上心や競争心を持つことができるのです。

 

洗脳や社会的影響

一方で、現代社会ではメディア教育文化が他者との比較を強調する傾向が強く、これが「洗脳」と感じられる要素にもなっています。例えば、広告やSNSは理想的な生活や成功のイメージを絶えず提示し、それが私たちの中に比較のプレッシャーを生み出します。また、学校や職場などでも他人との競争が強調されることが多く、その結果として、比較を避けられない状況に追い込まれることがあります。

要するに、人が他人と比較するのは自然な部分もありますが、社会的な影響や文化的な圧力によってその傾向が強められているのです。

 

特に教育では和多志は相当に影響を受けているように思います。保育園ではそうではないですが、小学校、中学校、高校、大学と

進むにつれて、勉強、運動面で順位をつけて篩にかけられていきます。高校、大学が一番ひどいでしょう。

大学では自分の好きな研究をやりたいといってもある程度学力がないとできないですから。和多志もそうでした。

 

和多志が思うにコペルニクス的研究は蟻が大好きで蟻を20時間観察する人とか、好きでやっている人にはかなわないのではと思うのです。

和多志は有機合成が好きでしたが、天然物の合成では、ラセミ体はできなかったり、光合成ができたり、人知を超える自然はすごいなと思っているところです。ですから現在は天然物の合成しているフィトケミカルが大好きです。

 

最近は人体にも大変興味があり、調べれば調べるほど人体の働き、連携、代謝酵素の種類と働きなどわからないことがたくさん出てくるのです。 

そういった研究も日々進化しており今までわからなかったことがどんどん判明してきているように感じます。

テーマを決めて国会図書館で学術文献検索しているとあっという間に数時間過ごしてしまいます。 その後の国会図書館カレーもうまいです。

 

今は誰にも篩かけられることもなく、自分が思いつくまま研究開発をしている自分がいて楽しいです。

 

 

 

 

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