食事の意味

食事の意味

 

先日酒宴つづきで、胃腸が破壊されて3日間下痢がつづき、何も食べれなくてつてもつらい思いをしたときに考えていたことをアップします。

 

冷たいものを受け付けず、食事も受け付けず、とにかく下痢ばかりの日々。 ようやく1週間後に全快しました。

 

体重は2キロは減りました。 3日間お湯しか摂取できていませんでしたが、頭ははっきりしていました。

 

食事が摂れず、もちろんお酒なんてとんでもない状態です。

 

3日間の断食をしたときに、大人になったら断食した方がいいかもしれないと思いました。 3日ではなくもっとやってもいいかもしれないとも思いました。

 

ホテルの朝食3回、学会のモーニングセミナー、ランチョンセミナー、イーブニングセミナー、懇親会、郡山での調べたラーメン屋さん、

この3日間で食べなかった食事を思い出して、健康だったらこんなに食べていたのかと思いました。 そりゃ太るわなと。

最近週1日の30時間のファスティングしても体重が減らなくなってきたので、この3日間のファスティングはちょうどよかったかもしれません。

 

まてよ、、、。 現代人の食事というのは生きるために食べているのか? それとも楽しみで食べているのか? はたまた別の要因で食べているのか? ちょっと考えてました。

 

この豊かな日本で生活している以上、生きるために食べる人は0ではないでしょうが、ほとんどいないでしょう。

 

ではなぜ食事をするのか? 食べないでも数日間は生きている現代人は、どうして毎日それも3食もたべるのか?

 

①食事は3食というのは洗脳であり、3食も摂る必要はない。 よほどの肉体労働でない限り。

 

②炭水化物中毒にさせられていることに気が付いていない 人間の細胞はブドウ糖がエネルギー源としてしか理解していない。

 

➂食事自体を楽しんでいる 生きるためではなくておいしいもの、珍しいものとして食べている

 

④食事をコミュニケーションの1つとして利用している 仲良くなるために食事を利用して食べている

 

こうやって考えると、日本で生きている限り生きるために食事をしているのではなく、楽しみとして食事をしている人が多いのでしょう。

和多志を含めて。 

 

実に贅沢な話です。 

 

胃腸が壊れて3日間強制ファスティングとなったおかげで食事という行為を考えるきっかけとなりました。

 

ありがとうございました。 病気というのは有難いことです。