当たり前の怖さ
当たり前の怖さ
「当たり前の怖さ」とは、一見何気ないことや日常的に繰り返されることが、深く考えずに受け入れられ、やがて問題や危険を見過ごすことにつながるという意味です。この考え方には、以下のような側面があります。
1. 思考停止を招く
「これは当たり前だから」と思ってしまうと、それに対して疑問を持たなくなります。
例:
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職場で「このやり方が普通だから」と言われ、新しい効率的な方法を提案しづらくなる。
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社会的に「女性はこうあるべき」「男は泣くな」などの固定観念を疑わずに受け入れてしまう。
2. 不正や問題の温床になる
不正や違反であっても、「みんなやってる」「これが普通」と思い込むことで、感覚が麻痺してしまいます。
例:
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サービス残業が「当たり前」とされている職場 → 過労やうつ病につながる。
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いじめが「昔からあること」として放置される → 被害者が深刻な精神的被害を受ける。
3. 変化や進歩を妨げる
当たり前と思われていることは、「変える必要がないもの」とされ、イノベーションや改善が進まなくなります。
例:
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紙の書類を使い続ける文化が残り、デジタル化が進まない。
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昔ながらの教育方法が「正しい」とされ、子どもたちに合った柔軟な教育が導入されない。
4. 感謝や意識の欠如
当たり前にあると思っているもの(家族、健康、水、電気など)は、失って初めてその大切さに気づくことが多いです。
例:
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毎日ご飯が食べられることを当たり前に思っている → 貧困の現実に気づかない。
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家族の存在を当たり前に思っている → 離れて初めてその大切さに気づく。
結論
「当たり前」は安心や安定をもたらす一方で、「思考停止」や「無関心」を生みやすく、結果として危険や停滞につながることがあります。
だからこそ、「当たり前」を時々見つめ直し、「本当にそれが正しいのか?」「もっと良い方法はないか?」と問い直す姿勢が大切です。
震災や非常事態になった時に当たり前ではないということに気がつきます。
離婚したり、親族がなくなった時にこんなことやってくれていたのかと、気づいたときにはもう遅い。
その裏には感謝の気持ちがなくなった時に起こります。
日本人は常に神によりそい、朝起きては朝日に感謝、すべてのものに神が宿るという考え方をしているので、どれだけ感謝して生きているのかわかりません。 感謝して生きる民族こそ日本人であり、日本精神です。
やって当たり前、客だから何をしてもいいなんて思考の人は残念ながら日本かもしれませんが、日本人ではないです。 和多志自身当たり前思考になっていないか自戒していくところです。