分別知とは
分別知とは
ある本を読んでいて、人間の智慧はいつも分別して作られるということから始まるという文章を読んで分別知という考え方があることを知りました。
また人間は本当に知ってるのではないということを知ればいいとも。人知が不可知の知であること知れば分別知は嫌になるであろうと。
分別を放棄すれば無分別の知が自ら湧く。
分別知は仏教用語であり分別知のほかに無分別という概念もあるそうです。
無分別は物事を区別せずにあるがままにとらえる智慧のことです。分別知は二元論的な思考や自己中心的な視点に偏りがちですが、無分別知はそれらの偏見や執着を超えたより広い視野で物事をとらえることができるとされています。
確かにこの世は、男と女、人種、言語、国などなど区別して、あるいは差別して分けて入り化しようとしています。
その区別をしていった先には息苦しい、義務的なことが発生しているようの感じます。
和多志は薬屋ですから、医療面でこの分別知というのは要素還元主義に思えてきます。 人間の體はバラバラではなくてすべてつながっているのです。
脳、胃、小腸、膀胱などバラバラに理解しても、解剖学的には意味がありますが、生理学的にはまったく意味がありません。
むしろ病氣を促すだけではないかと感じます。
この本によると自然農法というのはいかに人間が何もしないかという点も面白い。人間が介入すればするほどダメになる。
また衝撃的な文章として人間は自然を壊すことはできるが、自然を作ることはできないという文面です。 実に意味深です。
医療に当てはめると人間は生命を絶つことはできるが、生命を作ることはできないというようなものです。
たかだか人間の浅智慧で胃を切ったりそれば治ったとかいっていますが、まさに傲慢の何物でもないかと感じます。
今のところ人間の智慧ではタンパク質くらいまでしかできないです。 生命まで作れていません。
人知を超える智慧がそこら中にあることを認識していないと人類は傲慢になってしまいます。
自分も傲慢にならないように分別知をさけて無分別知でとらえていきたいと思います。