ショーペンハウアー

ショーペンハウアー

 

たまには哲学的なことも考えんとと思い、ショーペンハウアーさんを取り上げてみたいと思います。

 

 

ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer, 1788–1860)の哲学の中心には 「生への意思(Wille zum Leben)」 という概念があります。これは人間だけでなく動植物や自然界全体に貫かれている根源的な力だと彼は考えました。

1. 生への意思とは何か

  • 生き物は「理性」や「思考」ではなく、まず「生きたい」「存在し続けたい」という 根源的な欲求 に突き動かされている。

  • これは意識的な選択や合理的な目的に基づくものではなく、あくまで 盲目的で非合理的 なもの。

  • たとえば、飢えたら食べる、危険から逃げる、繁殖を求める――これらは理性以前の「生の力」による。

2. 「盲目的」であるとはどういうことか

  • 「意思」は方向性を持たず、ただ衝動として働く。

  • 動物が本能で生き延びようとするように、人間も理屈を超えて欲望に支配される。

  • そのため「満たしてもまた欲望が生まれる」という果てしない繰り返しになる。

3. 苦悩との関係

  • 生の意思は欲望を生み、欲望が満たされなければ苦しみ、満たされてもすぐ新たな欲望が生じる。

  • つまり「生きようとする衝動=意思」がある限り、人間は永遠に満たされず、苦しみから逃れられない。

  • これがショーペンハウアーの悲観主義につながる。

4. 盲目的な意思からの解放

  • 彼は「美的体験(芸術や音楽を鑑賞すること)」や「禁欲(欲望を抑制する生活)」によって、一時的にでも生の意思から自由になることができると考えた。

  • 特にインド思想(仏教やヴェーダ)に影響を受け、「欲望を断ち切ること」が苦悩からの救いだとした。

 

いかにも哲学者でありますが、このような考えというのはマズローの5段階の欲求からすると、まさに本能の部位のみを話しているにすぎず、どうしてこのような思考になるのかを考えてみると、支配者からみた群衆というとらえ方があるからではないかと感じます。

このような考え方は日本にはあまりなじみがなく、私自身とても違和感を感じます。

 

インドでのカーストでも同じようなことを言われていて、このような思考回路はスードラです。

 

スードラは肉体労働を通じて社会へ貢献する方々のことをいい、精神的に目覚めていない人達です。

決してスードラはもともと奴隷という意味ではありませんでした。 目覚めの程度を示していました。

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