和多志(わたし)
和多志(わたし)について
戦前には私のことを和多志と書いていたという話をちらほら見聞きします。
和 なごんだり、なじんだり、和えたり
多 多い
志 こころざす めざす
この「和多志」は見れば見るほど、日本人を表しているように思えてきて仕方がないのです。 多くが交わり、なごみ、そして志す。 なんとも日本人の組織力の源のように思えてくるのです。
以前中国人の友人が中国人は一人一人は龍だけど、三人寄れば豚になる。 日本人は一人一人は豚だけど、3人寄れば龍になると言い表しておりました。
なるほどねえ。 たしかに自己主張の強い中国人は皆が皆そうではないにしろそうなんだろうなあと。
算数で表すなら 中国人は1+1+1=1.5 日本人は0.5+0.5+0.5=3というようになるのかな。
この協力する、助け合うという精神がおそらく日本人の遺伝子に組み込まれているのではないかと私は思うわけです。またこの和多志という言葉に秘められているのではないかと感じます。
人間は一人ひとりは非力ですが、5人、10人、100人とよれば、すごい力を発揮できます。一人でできることは一人でやりますが、そうでない場合、屋根の吹き替え、建築、巨木の根っこ抜きなどを伴う開拓事業などなど、昔は村単位でなんでも協力していたと思います。
山の神様、川の神様、海の神様、日本には八百万の神といわれるほど、神様だらけです。この神様を敬い、お祭りして、神輿をしたり、神事を行ったり、もう一年中神事だらけです。 今の本土にはほぼなくなってしまいましたが、沖縄には70年代まで、それに近いことが行われていました。 奥さんのことをおかみさん(今はおかみさんなんてほぼいいませんが)というのはどうもこういうところからきていたようです。奥さんは神事で多忙のため、それを経済的に支えるのが夫の役目なんです。
今の考えとずいぶん異なって見えます。 それだけ日本人は自然と一体になって神様と一緒に生活に溶け込んでいたのでしょう。 天変地異も多いですし。