忘れ去られた日本精神シリーズ 「和多志」
忘れ去られた日本精神シリーズ 「和多志」
日本人は言霊信仰民族です。 言ったことは実現する。それは文字にも通じると信じています。
これはこの100年バカにされてきましたが、ようやく量子力学によって証明されつつあります。 日本人は経験則で分かっていたのでしょう。 ネガティブなことを言う人はネガティブな事象がおこり、ポジティブなことをいう人はその通りになる。これは多くの人が気が付きつつあることです。
現在のマスメディアはマーケティングということが大事ですので、不安をあおり、視聴率を稼ぎ、広告宣伝費を稼ぎます。医療でも不安をあおり、薬などをたくさん買うように仕向けます。
抗アレルギー薬を売るために、全国にたくさんのスギを植えて花粉症を流行らせたとは思いたくないですが、もしこれが出来レースであるならばすごいです。
言霊信仰が本当であるのであれば、人を不安にするだけで薬が売れるということになります。 不安で眠れない、不安で食欲不振になり、時間に追われ、焦り、失敗しては叱られ、ストレスにさらされます。毛髪は抜け、胃に穴もあき、薬漬けになって老化が進むわけです。
逆に安心してしまうと、人は安らぎ精神が安定してきますので、笑い、ゆったりして生きていけるでしょう。ですからメディアでは商売のために人を不安にさせることが肝要なのでしょう。
和多志→私
この変更により、個人主義への助長されました。 一人で生きていくしかない。誰にも頼れない。 孤独という概念が植え付けられたのではないかと思います。
和多志という意味
「和多志」とは今は書きません。「私」です。 なにかこの「私」には個人というイメージが私の中にあります。「和多志」は和と多と志です。これは意味深です。 人が多く集まっていて、和を形成し、その集団が意志を持っているように思えます。 これは私の大好きなスクールウォーズでもラグビーでもいうてました。One for All All for Oneの意味です。 一人は皆のために、皆は一人のために。これは高尚な考えです。
決して一人ではない。仲間の中の一人であり、孤独ではないという概念がひしひしと感じます。
私も今後は私は使うのはやめて、和多志を使うようにします。
すばらしいですね。日本精神。 そりゃいまでも台湾では日本のことを「りっぷんせんしん」の国といって敬愛してくれるわけです。